歴史・芸術・自然が出会う小さな市、イズニック
歴史・芸術・自然が出会う小さな市、イズニック
皆様、こんにちは!
今回は、ブルサ県の歴史的な建造物で有名な街「イズニック」についてお話したいと思います。
ダヴィンチ・コードの本/映画では、イズニックのことが書いてあるのはご存知ですか?
また、キリスト教の歴史に興味がありましたら、この街のことが聞いたがあるかもしれません。
私が大好きなこの本の内容では、第1ニカイア公会議について読んでいたとき、「あっ!これはトルコで開催されていました!」 と驚きました。その理由は、ニカイアの現在の名前はイズニックであること。
イズニックはキリスト教の歴史の中で重要な都市であり、多くの歴史的な建物が2000年間を通して完璧に残っていないのですが、まだ教会や博物館など、遺跡が多いです。
この街は、しばらくの間、ルーム・セルジューク朝の州都でもありました。ルーム・セルジューク朝とオスマン帝国からの遺跡や史跡もあります。
更に、自然愛好家のために素晴らしいイズニック湖と芸術愛好家のためにイズニックタイルは一見の価値があるでしょう。
イズニックはどこにありますか?
イズニックは、名前の発音が近いため、「イズミル」や「イズミット」と間違えられることが多いです。しかし、それらの街と関係なく、イズニックはブルサ県の都市です。
イスタンブールのアナトリア側からフェリーで1時間、プラス車で1時間、移動は合計2時間かかりますので、イスタンブールに近いと言えます。
バチカンによって3番目の聖なる都市と宣言されたイズニックは、第1ニカイア公会議のおかげでキリスト教徒にとって大事な所です。
キリスト教とオスマン帝国時代の作品
アヤソフィア・モスク
イズニックにアヤソフィアのモスクがあると、聞いたことがありますか?もちろん、これはイスタンブールのアヤソフィアほど有名で壮大なモスクではありません。
このモスクは、ローマ時代においてイスタンブールのアヤソフィアと同様に教会として建築されました。7世紀にて「第7キリスト教公会議」はここで開催されました。
12世紀には、オスマン帝国の2番目のスルタンであるオルハンガジによってモスクに改築されました。1920年にギリシャが崩壊したこの歴史的建築は、2007にて修築され、しばらく美術館として利用されました。
2011年11月、犠牲祭の初日にてモスクとして利用され始めました。
ハジュ・オズベク・モスク
こちらのモスクは、オスマン帝国のもとで造られ初モスクだと考えられています。1333年〜1334年の間に建設されました。
石とレンガが使われたハジュ・オズベク・モスクは長方形に建てられました。オスマン帝国時代の初期を代表とする建築なので、イズニックへ旅行する際は観光におすすめです。
オベリスク(ディキリタシュ)
ローマ時代に属するオベリスクは、街の中心部から5km離れた、桃の庭の真ん中に位置します。
1世紀にイズニック(古名はニカイア)に建てられた記念碑です。イスタンブールにあるオベリスクとは違いますので、ご注意ください。
2000年前から残るこの遺物は、高さ12メートルで5つの石を立てた形です。元々6つの石があったはずですが、6番目の石は見つけられなかったようです。6番目の石は、勝利の女神や鷲の像だったと考えられています。
記念碑の一番下にある石の表面には、ギリシャ語で「カシウス・フィリシウス(Cassius Philiscus)は83歳まで生きた」と書いています。当時、有名であった偉い人の霊廟だと思われていますが、どのような人物でしたのかは謎のまま。
イズニックの古い城壁
ニカイアはギリシャ語で「城壁の中にある」という意味です。ビテュニア王国によって建設され始め、イズニック街の城壁の歴史は4世紀にさかのぼる。
ローマ帝国、ビザンティン帝国、大セルジューク朝、オスマン帝国の時代にも使用され、それぞれの時代から残った遺跡があります。
長さ5kmをする城壁には「イスタンブール門」「レフケ門」「イェニシェヒル門」「ギョル門」と呼ばれる4門があります。しかし、最良の保存状態の門はイスタンブール門とレフケ門だけとなっています。
レフケ門は東側から町に入る門です。北門はイスタンブール門があります。両方の門の表面に、紀元前3世紀にあった戦争を描いたレリーフが見られます。また、古代ギリシャ語で書かれた碑文もあります。
タイルワークショップ
イズニックでは、イズニックタイルが有名なので、タイルワークショップでタイルを作る方法を学ぶことができます。ワークショップで、タイルの歴史と陶芸との違いを学び、タイル塗装を体験することができます。
トルコの有名なモスクで見たことのあるデザインのタイルを作ってみるのが楽しそうですね!
イズニク湖
トルコで5番目に大きい湖であるイズニク湖は、夕日の眺めで有名です。 特に春分点の間に祝われ祭りもあり、その時は眺める月光は最も美しいです。
湖の周りでピクニックをしたり、カヌーに乗ったり、ボートツアーに参加したりできます。湖畔の喫茶店でコーヒーや紅茶を飲みながら遊クリのお時間を満喫できます。
また、イズニク湖に沈んだ街の痕跡を見ることができます。 キリスト教にとって重要である、沈没したバシリカ(王の列柱廊)の遺跡に関しては現在、考古学者は調査を続けています。
毎年の春にてカヌー祭りが行われますので、参加いただけます。
バチカンによって3番目の聖なる都市と宣言された市
続きまして、キリスト教徒のために大事な場所となっている理由について説明します。
イスタンブールがコンスタンティノープルと呼ばれていた東ローマ帝国時代のことを聞いたことがありますか?この時代において、東ローマ帝国の宗教を異教からキリスト教に変えた皇帝がいました。名前はコンスタンティヌス1世。
キリスト教が急速に広まった4世紀に、東ローマ帝国は内戦の危機に瀕していました。市内のキリスト教徒と異教徒が互いに戦い始める前に、コンスタンティヌス1世は、国教をキリスト教に改宗させることを決定しました。
彼は、一神教が拡大するにつれて、彼らが異教とキリスト教の共通点を明らかにして、キリスト教のことがより簡単に受け入れられるようにしました。
コンスタンティヌス1世はキリスト教を公認したおかげで、何百人もの人々がキリスト教徒になり、これによりキリスト教がさらに広まったので、イズニックはキリスト教徒にとって神聖な場所になりました。
そしてイズニックが聖なる都市であるもう一つの重要な理由が、ここで行わらた最初の公会議において、最終的に聖書に含まれる書物の数(四福音書)が決められたと言われていることです。
トゥーチェ・カラポラット