トルコ・古代都市エフェソスにある、7回も破壊されたアルテミス神殿
トルコ・古代都市エフェソスにある、7回も破壊されたアルテミス神殿
世界遺産の古代都市エフェソス遺跡のことを聞いたことがありますか?
または、その中にあるアルテミス神殿はいかがですか?
今回の記事では、アルテミス女神と世界の七不思議の1つであるアルテミス神殿についてご紹介します!
エフェソス遺跡の紹介
エフェソス遺跡は、エーゲ海に面するトルコ西部の都市であるイズミルに位置します。最初に建設されたのは起源是全6000年にさかのぼります。
その後、いくつかの文明の居住地となりましたが、最盛期を迎えたのは紀元前133年にローマ時代の支配に入ってからと思われます。現在に残る保存状態の良い円形劇場や神殿など、ローマ風建築が多数建造されました。
かつて高度な文明を築いたこの古代都市は、小アジア最大の貿易港として繁栄し、人口は20万人を超えたと言います。
アルテミス崇拝で知られたギリシア人都市ですが、ヘレニズム・ローマ・初期キリスト教の各時代の文化的伝統を示す貴重な場所でもあります。
そんな見所の多く点在する古代都市のエフェソスですが、2015年に世界遺産に登録されました。
マーブル通りやアルカディアン通りを歩いて、世界中有名なエフェソスにあるハドリアヌス神殿、アルテミス神殿跡、大劇場、セルシウス図書館を見て、歴史を感じましょう!
訪問時間は以下の通り♪ 最低2時間をかけてゆっくりと見るのをおすすめします。
【4月1日~10月31日】 08:00~19:30
【11月1日~3月31日】 08:30~17:00
アルテミスはどんな女神?
「容赦はしない」のが特徴である、狩猟と月の女神アルテミス。 彼女は、将来だれとも結婚しない宣言をした処女の女神なんです。
言うことを聞かない人、神聖とされる動物を傷付く人への怒りがよく知られていました。非常に気が強く、男勝りな性格の女神でした。
実はゼウスとレトの娘であり、アポロの双子の兄弟でした。ある逸話によると、母のレトが出産する時に、アルテミスが1日先に生まれ、弟アポロの出産を手伝ったと言います。
この出来ことにより、彼女は出産の守護神、そして子供の守護神でもありました。
彼女たちの生まれた場所はパタラ(現トルコのアンタルヤ)でした。彼女の出産ストーリーに関してはこちらの記事で細かくご案内しておりますので、是非チェックしてみてくださいね!
TOURQUAブログ記事:サンタクロースが誕生した地:アンタルヤ県のパタラの町
ギリシャ神話ではダイアナとして呼ばれることもあります。
彼女は古代の地中海地方(北西アナトリア、メソポタミア、シリア、エジプト、クレタ島、ギリシャ、イタリア等)で深く崇拝されていました。
当時、エフェソスも同じく、アルテミスは非常に敬われていました。アルテミスに敬意を表したく、アルテミス崇拝を形成しました。
総大理石による世界最古の神殿「アルテミス神殿」の建設と歴史
アルテミス神殿はトルコのイズミルの町にある古代都市エフェソスの一部。紀元前550年頃に、裕福なリディア王クロエサスの命令で、ギリシャの建築家ケルシプロンによって設計され建築されました。
120年の歳月をかけて建築されたと言われます。
長さ115メートル、広さ54メートルの神殿には、127の高さ17メートルの大理石の円柱を持っていました。
伝説によると、ヘロストラトスという靴屋は、有名になって死んだ後も永遠に残りたいと思い、アルテミス神殿を放火しました。
当日、アルテミスはアレキサンダー大王の出産で忙しいであったため、神殿を守ることができませんでした。
その後、アレキサンダー大王は神殿の修復費用のすべてを負担すると言いましたが、エフェソスの住民たちは「それは難しいと」彼を優しく断りました。
神殿は、アレキサンダー大王が死亡した後、紀元前323年にて修復されました。
ローマ帝国の支配下になり、263年ローマ皇帝ガリエヌス時代に攻撃され破壊されました。
その後、帝国のコンスタンティノスはエフェソスを再建しましたが、彼らはキリスト教を信じるため、アルテミス神殿を再建しなかったです。
380年にキリスト教は国教化し、392年にはキリスト教以外の宗教を禁止されました。この理由により、女神アルテミス信仰は弾圧の対象となりました。
歴史においては再建が繰り返されましたアルテミス神殿ですが、400年に起きた火事でいくつかの大理石の円柱以外は、完全に燃えてしました。現在に残るあの円柱を見ても栄華を極めた時代が想像できるでしょう。
アルテミスは、1869年に、イギリス人技師ジョン・ウッドの考古学探検隊による7年間の発掘調査にて発見されました。
今も訪問すれば、この歴史が溢れる雰囲気が感じられます。機会があればぜひこの神殿も見に行ってください!
エリちゃん~