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2023/07/03

トプカプ宮殿

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トプカプ宮殿

 こんにちは、ガイドをやっているニハットと申します。
 この記事では、イスタンブールに旅行の際、絶対に訪問して欲しい観光スポットのひとつ、トプカプ宮殿についてご紹介します。

 

トプカプ宮殿の位置と歴史

 イスタンブールのシルエットを構成する、トルコ文明の宝であるオスマン帝国の宮殿。
 トプカプ宮殿は、イスタンブールの旧市街である歴史的な半島の端に植わっているプラタナスの木の陰に位置しています。小高い丘の上から金角湾、ボスポラス海峡、マルマラ海を見下ろしています。
 1453年に世界史を中世から近世に変えた、イスタンブールを征服したファティ・スルタン・メフメットによって1460年に着工されました。 後継の各スルタンによって当時の建築様式に従って増築を重ね、現在の宮殿が出来上がりました。
 元の名前は「新宮殿」でしたが、19世紀にゲートの前に大砲が設置されていたため、「トプカプ宮殿」と呼ばれています。
 当時、世界3大陸を一定期間統治したオスマン帝国のスルタン達(皇帝)の住居になったトプカプ宮殿は、その時代の輝かしい思い出を現在に残してい博物館です。
 長い歴史の間、様々な皇帝、司令官、大使、商人によって訪問されました。

 

トプカプ宮殿の構造


 「皇帝の門」から始まり、「挨拶の門」と「至福の門」で区切られた4つの中庭があって、非常に大きく、非常に神秘的で、非常に審美的な複合体です。
 美しいタイルに覆われて、あずま、花壇(特に4月にチューリップ)に囲まれている庭園は、70万m2の面積に及ぶ広大な敷地になっています。
 トプカップ宮殿は、行政の中心だけではなく、スルタンとスルタンの家族が住んでいたハーレム、田舎から選ばれたキリスト教徒の若者でできたデヴシルメという徴兵制度の才能が通っていた学校など、独特な文化を持っていました。
 トプカップ宮殿は世界最大の宮殿博物館のーつとなっています。現在、壁が壮大なタイルに飾られている展示室になっている部屋の中には、約30万件のアーカイブ文書があります。
 また、宮殿の展示室には86カラットのダイヤのスプーンが位置し、魅力的な宝庫、イスラム教・キリスト教・ユダヤ教における神聖な遺物、色んな時代の武器、立派な王位、日本・中国・ヨーロッパからの磁器など、言い切れないほど展示物があります。
 

トプカプ宮殿の庭

 1400メートルの壁に囲まれた宮殿の主な区分は以下のとおりです。

 

バブフマーユーン(皇帝の門)と第一中庭

 最初の中庭を通ったら6世紀のビザンチン時代に構造されたアヤ・イリニ教会と、オスマン朝時代の宮殿のために働いていたワークショップがご覧になれます。
 このエリアは昔、市民が利用できる公共空間でした。また、市民は指示書、要望・嘆願・請願・苦情文句などの嘆願を出すことができる敷地でもありました。
 現在も無料で入場できるので、古代の雰囲気が感じれるでしょう。

 

バーブセラム(挨拶の門)で宮殿の本体部分に入れる二番目の中庭

 バーブセラムは、帝国時代において宮殿の最も重要な入り口であり、現在、博物館の有料の入り口となっています。
 当時、国民はこの門から下馬し入っていましたが、スルタンだけは乗馬まま通ることができました。
 様々な儀礼が行われていた2つ目の中庭に入ると、左側に尖っている正義塔の下には、帝国の国政の中心である御前会議場とその広場があります。
 その隣の展示室には、当時に使われていた時計、その次に武器が展示されています。右側に宮廷の煙突が目立っています。
 厨房は非常に広く、平均として毎日約4000人分が調理していました。祭りや式典の間、この数は14000人に達する時がありました。
 この区分では、現在中国、日本、ヨーロッパの陶磁器と厨房道具が展示されています。

 

バーブサーデ(至福の門)と3番目の中庭

 「至福の門」の直ぐ内側には謁見の間があります。
 大宰相はじめ政府高官、大使たちはここで謁見していました。更に、この内庭の中心は、図書館、イスラム教とキルスト教の聖遺物室などの展示室、宝物館、スルタンたちの肖像画室、衣服室に囲まれています。
 第三庭から東側に進むと、海峡または金角湾の素晴らしい景色を見下ろせるテラスとスルタンたちが休憩していた素敵なイズニックタイルのやしきが見学できます。

 

ハーレム

 宮殿の金角湾にある厳重に隔離されたハーレムは、確かに宮殿の最も興味深い部分の一つで、重要な区分です。
 ハーレムは、アラビア語「ハラム」という言葉から由来し、意味は「禁止」とのことです。 ハーレムは娯楽の中心地ではありません。
 それどころか、非常に厳しい懲戒規則が適用される場所です。ハーレムには戦争から捕虜として連れてこられた若い女の子は教育を受け、スルタンたち、皇族の男又は政府高官と結婚させられていました。
 黒人宦官によって保護されていたハーレムの絶対的な権力者は、当時のスルタンのお母さんでした。立派な芸術作品のイズニックタイルで飾られているハレムは、絶対に必見な場所です。
 1856年にドルマバフチェ宮殿に移るまで、400年の壮大な歴史が、素晴らしいプラタナスの陰であなたが訪れる日を待っています。

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