カッパドキアの隠れた魅力・地下都市
トルコのカッパドキア地方は、柔らかい凝灰岩からできている地下都市として有名です。
気球が飛んでいる写真を見たことがある人も多いのではないでしょうか。
カッパドキアで発見された最も有名な地下都市としては、「デリンクユ」、「カイマクル」、「オズコナック」、「タトラリン」、「マズ」、「オズルジェ」があります。
これら紀元前3000年から存在すると思われるカッパドキアの地下都市は、1985年にユネスコの世界遺産に登録されたカッパドキア地方の一部となっています。
カッパドキアの地下都市の歴史
カッパドキア地方は、数百万年前から堆積した火山灰でできています。
立ち並ぶミナレットのような奇岩は、雨や川の流れで侵食されてできたものです。
数千年前には、カッパドキアのヒッタイト人が岩を掘って地下都市を作りはじめました。
当初は、貯蔵や食品庫として使うために作られましたが、敵であるフリギア人の急襲から身を守るための地下トンネルとして使われるようになってきたと考えられています。
ビザンティン帝国時代に敵襲が増えると、カッパドキアの地下都市は保護や宗教的な目的で集落として使われました。
4世紀にローマ時代の国教となるまで、キリスト教徒が迫害から隠れる場所として使われたこともあります。
地下都市の内部にはいくつもの部屋があり、廊下でつながっています。
カッパドキアの地下都市について書かれた最も古い書物はアナバシスのクセノポンで、アナトリアの人々は家族全員が生活し、家畜を飼い、食物を蓄えられる広さの地下の家に住んでいたと述べています。
デリンクユ地下都市
デリンクユ地下都市は1963年に発見され、1967年に部分的に整備されて観光用に開放されました。
現在地下8階まで開放されていて、地下50メートルまで降りることができます。
デリンクユ地下都市は、約5万人が住めるほど深いと言われています。
内部には、2つの井戸があります。
これらの井戸の深さは約70メートルで、水を供給するとともに、通気口としても使われていました。
地下都市の井戸のいくつかは地表に出ていないものがあり、敵が水に毒を混ぜるのを防ぐためと考えられています。
カイマクル地下都市
カイマクル地下都市は元々「エネグップ」と呼ばれ、数百年にもわたるアラブ・東ローマ戦争の間、避難所として利用されていました。
その間に地下都市はどんどん拡大し、最終的にトルコで最も広い地下都市になりました。
当時、カイマクル地下都市には最大3500人が暮らしていたと予想されています。
この地下都市は、1964年に訪問者に開放されました。
地下8階までありますが、見学できるのは地下4階までです。
当時は、お金持ちの家族ほど地表に近い階に住んでいました。
内部には厩舎、貯蔵室(いくつかは現在も利用されています)、古代の家、教会、共同台所などがあります。
オズコナック地下都市
オズコナック地下都市は、紀元前4世紀頃に造られました。
その後はペルシア人、そしてローマ人がやって来てこの場所を使っていましたが、地下都市を拡大したのはビザンチン帝国のキリスト教徒だと言われています。
キリスト教徒は迫害から逃げて、すでにあったこの地下都市に教会や宗教学校を建て、オズコナックを発展させてきました。
オズコナックは地下10階まであり、地下4階まで入場可能です。
地下4階は刑務所として利用されていました。
古代都市が放棄されてから長い間そのままになっていましたが、1972年に1人の農民によって発見されました。
タトラリン地下都市
タトラリンの地下都市では、大きな倉庫と教会が発見されました。
そのため一般的な居住地ではなく、軍の駐屯地または修道院センターである可能性があります。
現在の住居の間取りと同じような位置にトイレやキッチンがあり、その時から自宅の概念があったと考えられます。
マズ地下都市
マズの地下都市は、1995年に羊飼いによって偶然に発見されました。
マズの名前の由来は「古代都市」です。
入り口にある納屋が他の地下都市に比べて広いことから、マズ地下都市では畜産が盛んだったと考えられています。
オズルジェ地下都市
オズルジェは地下1階のみで構成され、整備されていない地下都市です。
中は広すぎて崩落のリスクがあるため、他のカッパドキアの地下都市とは異なり、見学することはできません。
凝灰岩層の色が他の地下都市と違い、ユニークです。
エリちゃん~