エジプトの女王クレオパトラの悲劇的な生涯、トルコとの関係は?
皆さん、クレオパトラの名前は聞いたことがあると思いますが、どのぐらい詳しく知っていますか?
クレオパトラは王位継承者として、プトレマイオス朝を約21年間統治しました。
絶世の美女とも言われ、ローマのガイウス・ユリウス・カエサルや、マルクス・アントニウスとのロマンスも知られています。
今回の記事では、クレオパトラの生涯や、彼女とゆかりのあるトルコの観光地をご紹介します。
クレオパトラはどんな人物?
クレオパトラ7世(紀元前69年〜30年)はエジプトの女王であり、ローマ政治の重要な時期に影響を与えた人物でもあります。歴史に名を残した女性の1人です。
優れた教育を受けたクレオパトラは、賢く、9か国語が話せると言われていました。
ユリウス・カエサルの恋人として、また、マルクス・アントニウスの妻としても有名です。
アントニウスとクレオパトラの合同軍がローマ軍に負けた後、二人は自殺しました。
その結果、エジプトはローマ帝国の支配下となりました。
クレオパトラの生涯
エジプトで 王位継承のシステムが確立されたのは、紀元前323年アレキサンダー大王の死後のことでした。
アレキサンダー大王の武将だったプトレマイオス1世は、プトレマイオス朝(ギリシャ・マケドニア系のエジプト王朝)を建国し、エジプトを支配することになりました。これが、 王位継承の起源です。
クレオパトラ7世は、プトレマイオス朝の最後の女王でした。
紀元前51年、父親であるプトレマイオス12世の死後、エジプトの王位は18歳のクレオパトラと10歳の弟プトレマイオス13世に渡されました。
二人の兄弟が王位についたすぐ後、弟・プトレマイオス13世の顧問たちは共同統治を嫌い、クレオパトラをエジプトからシリアに追放します。
シリアに追放されたクレオパトラは、傭兵軍を作って、翌年ペルシウムでの内戦で弟の軍隊と戦うために戻ってきました。
そこへ、ローマの内戦から逃げてきたポンペイウスを追って、ローマ帝国の将軍であるユリウス・カエサルがエジプトへ上陸しました。
即位したいクレオパトラと、エジプトの征服をしたいカエサル。
目的を果たすために、お互いがお互いを利用することになったのです。
カエサルの支援の元、クレオパトラはプトレマイオス13世との和解を試みますが、上手く行かず、プトレマイオス13世はカエサル率いるローマ軍から制圧され死亡しました。
これにより、クレオパトラはもう一人の弟・プトレマイオス14世を王位にし、彼と結婚しました。
カエサルはクレオパトラと共にエジプトに紀元前47年頃まで滞在し続け、二人の間に子が産まれました。
その後、ローマに戻ったカエサルは暗殺されました。
カエサルの甥であり、養子のマルクス・アントニウスとオクタウィアヌスは、二人でローマの支配権を確立しました。
紀元前41年、アントニウスはエジプトと手を組もうと、トルコのタスソス(現タルスス)へクレオパトラを呼び出します。
アントニウスはすぐに彼女の魅力に魅了され、エジプトとクレオパトラの王位を守ることを約束しました。
紀元前31年、オクタウィアヌス軍との戦いで、アントニウスとクレオパトラの共同軍隊は大敗。
戦争後、クレオパトラが自殺したという噂がアントニウスの耳に入ると、彼は自らの剣で命を落としましたが、噂が間違っていたという知らせが届いたのはしばらく後でした。
彼の死を聞いたクレオパトラも自殺し、アントニウスと一緒に埋葬されました。
その場所は未だに発見されていません。
クレオパトラの死後、エジプトはローマ帝国の領土となりました。
クレオパトラについておすすめの映画『クレオパトラ(1963年)』
1963年に公開されたアメリカ映画「クレオパトラ」は、古い映画ですが、おそらくクレオパトラに関する映画の中で最も有名です。
エジプトの女王クレオパトラ(エリザベス・テイラー)と、ユリウス・カエサル(レックス・ハリソン)、マルクス・アントニウス(リチャード・バートン)のロマンスをテーマにした映画です。ぜひ見てください!
クレオパトラに関するトルコの観光地
最後に、クレオパトラに関するトルコの観光地を3つご紹介します。
クレオパトラの門
トルコのメルシンに位置する歴史的な町「タルスス」。
約6000年前、クレオパトラとマルクス・アントニウスが初めて会った場所だと言われています。
「クレオパトラの生涯」でもご紹介した通り、紀元前41年、アントニウスがエジプトと手を組もうとクレオパトラをタルススへ招いたのがきっかけです。
クレオパトラがタルススへ来る時に町の巨大な城門をくぐり、これが「クレオパトラの門」と名付けられました。
アントニウスは、ギリシャ神話の愛の女神・アプロディーテーのように美しいクレオパトラに魅了され、すぐに恋人になったそうです。
クレオパトラ・プール
世界遺産のパムッカレ近くのヒエラポリス遺跡にあるアンティーク・プールは、別名「クレオパトラ・プール」と呼ばれます。
かつて、クレオパトラがアンティーク・プールで泳いだことから、美しさを得たという伝説が由来です。
ユネスコの世界遺産リストに登録されている「ヒエラポリスとパムッカレ」の古代遺跡にあります。
水温は36度。ミネラル豊富な水は、皮膚病や循環器系の病気、心臓病などに効果があると言われています。
クレオパトラ島
トルコのエーゲ海にある「セディル島」は、別名「クレオパトラ島」と呼ばれます。
クレオパトラとアントニウスは、この島にあるクレオパトラビーチで泳いだと言われています。
クレオパトラ島は、他では見られない美しい白い砂浜が有名です。
アントニウスは、楽園の島を作ってクレオパトラにプレゼントするため、エジプトから島に大量の滑らかな白い砂を運ぶように命じたと言われています。
現在、島は政府から保護されていて、砂を持ち帰ることは禁じられています。
エリちゃん~