チューリップの原産国はトルコ!オランダのチューリップバブル
オランダで広く栽培され、オランダを代表するチューリップ。
じつは原産国はトルコであることを皆さんはご存じでしょうか?
今回は、チューリップが大人気だったオスマン帝国の「チューリップ時代」「チューリップバブル」や、チューリップにまつわる面白い話などをご紹介します。
チューリップはどんな花?
チューリップはユリ科の球根植物です。
トルコ語では「ラーレ(Lale)」と呼ばれています。
バレンタインデーに贈る花として、一番人気のバラに続き、二番目に人気な花です。
チューリップは、さまざまな美しい色を持つ、春に咲く元気な花。
基本的に咲き方や色によって種類が異なるので、野生のチューリップも含め、原種だけでも100種類を超えています。
品種は5,000以上もあり、とても種類が豊富な花です。
じつはトルコと関係の深い花
オスマン帝国時代には、後に「チューリップ時代」と名付けられた、チューリップの栽培や観賞が盛んになった時期があります。
今でこそチューリップはオランダを代表する花ですが、チューリップを初めて栽培したのはトルコです。
元来オスマン帝国のあったアナトリア半島はチューリップの原産地の一つであり、そこで栽培したチューリップを西欧に紹介していました。
しかし17世紀に、オランダがチューリップ栽培熱という「チューリップバブル」を引き起こします。
それをきっかけに、アフメト3世時代のオスマン帝国に、オランダからチューリップが「逆輸入」され、チューリップ時代と呼ばれるほどチューリップの栽培が流行しました。
チューリップの歴史については、この後さらに詳しくご紹介します。
チューリップの歴史
上記でも少し触れましたが、チューリップが初めて見つけられた16世紀から現代までに渡る、チューリップの長い歴史について、詳しくご紹介します。
チューリップが発見される
チューリップの元々の原産国は、現在のカザフスタンだと言われています。
16世紀、カザフスタンの一部は、オスマン帝国のスルタンのスレイマン1世によって征服されていました。
その時期に、カザフスタンの山でチューリップが発見されます。
スレイマン1世は、チューリップの美しさに感銘を受け、いくつかのチューリップをトルコに持って帰りました。
それらのチューリップは、オスマン帝国の権力者たちの庭に植えられました。
16世紀に世界で最も美しい都市の1つと言われた「コンスタンティノープル(現イスタンブール)」は、チューリップの商業と文化に関する重要な都市にもなりました。
チューリップがオランダに渡る
スルタンはチューリップを非常に大事にしていて、国を訪れる有名なゲストへの贈り物としました。
そのゲストの1人に、オスマン帝国のウィーン大使のオージェ・ギスラン・ド・ブスベックがいます。
彼は、プレゼントされたチューリップをオーストリアへ持ち帰り、生物学者の友人であるカロルス・クルシウスに贈りました。
クルシウスは、オランダのライデン大学の植物園でチューリップの栽培を始めます。
この出来事をきっかけに、チューリップは、オランダからヨーロッパ各地に広がっていきます。
オランダではチューリップの栽培が始まり、その球根はオランダを代表する産業になってきました。
オランダで発生した「チューリップ・バブル」
オランダで起きた「チューリップ・バブル」は、世界で初めて記録されたバブル経済と言われています。
1590年代、チューリップを受け取った生物学者のクルシウスは、オランダの植物園にチューリップを植え、その知識を他人とは共有せず、チューリップへの関心を注ぎ続けました。
しかし残念ながら、ヨーロッパで非常に少なく高価な彼のチューリップは、ある日何者かに盗まれてしまいます。
それから数十年が経ち、17世紀初頭、「チューリップバブル」が起こります。
チューリップはオランダで大人気な花となり、貿易品としてもすぐに人気を集めました。
植物学者は花の交配をして、さらに魅力的な品種を作る方法を見つけ始めます。
新しく作られた品種のうちの何種類かは、当時アムステルダムの家よりも高い値段で売られていたようです。
1637年頃、やがてチューリップの高値に疑問を抱いた人々が球根を購入することをやめました。
これをきっかけにチューリップの価格は、最高値の1%まで落ち、バブルは崩壊しました。
オスマン帝国のチューリップ時代
オランダと同様、オスマン帝国にもチューリップの栽培が盛んになった時期があります。
1718年から1730年までの12年間は、オスマン帝国で「チューリップ時代」(トルコ語でLale Devri)と呼ばれています。
当時のスルタンであったアフメト3世が、チューリップに深く興味を持ち、オスマン帝国でチューリップの栽培が流行したのです。
アフメト3世は、チューリップが満開の季節になると何千ものチューリップを展示して、宮殿で毎晩チューリップをテーマにしたパーティーを行っていました。
パーティーに参加するゲストはチューリップと同じ色の服を着て、夜から朝まで楽しさに満ち溢れた時間を過ごしていました。
チューリップは「権力」と「富」の象徴であり、「社会的地位が高い」ことを表すシンボルでもありました。
オスマン帝国のスルタンは、自らの地位の高さを表すため、「ターバン」と呼ばれる頭に巻く帯状の布に、チューリップを飾るようになりました。
これはチューリップの名前の由来にもなったと言われています。
花の形がターバンの形に似ていることから、花は「チュルバン」と呼ばれ、段々「チューリップ」と呼ばれるようになっていったそうです。
チューリップ時代を迎えた18世紀は、エンタメ、芸術、異文化交流が盛んで、オスマン帝国と西欧の関係が深くなった時期でもあります。
同時期に起こった印象的な出来事として、以下の4つがあげられます。
- ヨーロッパにトルコ大使館ができる
- さまざまなところに図書館が建てられる
- 陶器・織物の工場や印刷所が建てられる
- イスタンブールに宮殿や公園が建築される
チューリップの文化的反映
トルコでは、陶磁器や織物、タイルなど、さまざまなものにチューリップのエレガントなモチーフが使われています。
16世紀に、有名な建築家のミマール・スィナンによって建てられた「リュステム・パシャ・モスク」の図柄に、41種類のチューリップのモチーフのあるイズニク陶器が使用されていました。
オスマン帝国時代において、最もきれいなタイル装飾を持つこのモスクには、多くの方が魅力されるでしょう。
現在でも、すべてのターキッシュエアラインズ(トルコ航空)の飛行機の胴体が、チューリップのデザインで彩られています。
イスタンブールでは、毎年春が訪れると、公園、大通り、交通の回り道、そしてほぼすべての場所に数百万本のチューリップを植え、チューリップフェスティバルを行っています。
気候が暖かくなり、チューリップが咲き始める4月頃は、イスタンブールを訪れる絶好のシーズンです!
チューリップにまつわる3つの面白い話
チューリップにまつわる面白い話を3つご紹介します。
完璧な対称性
丸みを帯びた美しい形が特徴的なチューリップ。
チューリップのほとんどの種類は、その形がほぼ完璧に左右対称です。
花の構造は、外側に花びらが3枚、内側に萼(がく)が3枚。
花びらと萼のサイズが同じのため、球根に6枚の花びらを持っているように見えます。
色によって異なるチューリップの花言葉
チューリップは春の到来を知らせる花であり、「愛」を象徴する花でもあります。
色によって表す意味が変わるので、いくつかご紹介します。
赤色のチューリップ
赤色はチューリップの代表的な色。
「愛の告白」と「真実の愛」を表しています。
永遠の愛を告白するのに最適です♪
白色のチューリップ
白色のチューリップは、日本では失恋を意味すると言われています。
トルコでは「ごめんなさい」の意味を持っていて、謝る時に渡すチューリップ。
「純粋さ」と「純真」も表しています。
結婚式では花嫁のウェディングブーケに使われることが多いです。
ピンク色のチューリップ
ピンク色のチューリップは、「愛の芽生え」と「誠実な愛」 を意味しています。
トルコでは「愛着」や「思いやり」の気持ちを伝えたい時に渡します。
黄色のチューリップ
黄色のチューリップは、元々「絶望の恋」という悲しい意味を持っていました。
しかし今では、「やきもちを焼く」ことを伝えたい時に渡します。
また、チューリップを渡す相手への尊敬の気持ちがあることも表します。
トルコの有名なバンド「MFÖ」の代表曲の1つに、「Sarı Laleler(黄色のチューリップ)」という歌があります。
「あなたがいなければ私はどう生きていたのだろう」「他の誰かに渡したくない」という気持ちを述べている曲です。
ぜひ聞いてみてくださいね!
チューリップは調理できる?
チューリップは、基本的にアクが非常に強いため食べられません。
一般の園芸品種の球根や花には、心臓に作用をもたらす「ツリピン」という毒素が含まれているため、食べると死んでしまう可能性があります。
一方で食用のチューリップもあり、オランダでは花のサラダやお菓子の添え物として食べられています。
オランダは、第二次世界大戦の時に、多くの人々が栄養失調で死んでしまうという厳しい経験をしました。
この時期は、食べられる物を見つけるのが困難で、手元にあったチューリップの球根を、油とリンゴ酢で調理して食べていたそうです。
チューリップのおかげで餓死せずに生き延びられた人が多いと言われています。
エリちゃん~