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2023/06/05

ユダヤ教やイスラム教にもある伝説ノアの方舟、残骸はトルコに?

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旧約聖書の「創世紀」に登場する物語「ノアの方舟」。

「ノアの方舟」は、人類の堕落に怒りを示した神が、全ての生き物を一掃しようと大洪水を起こそうとしますが、唯一正しい心を持つノアのことを救おうとする話です。

今回の記事では「ノアの方舟」について、主人公ノアの人物像や大洪水の理由を説明し、物語に登場するトルコの山をご紹介します。

ノアの人物像

ノアは、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の聖典に登場しており、3つの宗教における重要な人物です。

ユダヤ教によると、ノアはイスラエルの神である「ヤハウェ」と契約をしたと言われています。
この契約によって、自然災害に対して未来への保護を保証した誠実な人物として知られるようになりました。

ノアの生存期間

ノアは実在していたと考えられていますが、正確な生存期間は不明。
創世記には、「最初の人間であるアダムの誕生日から1000年後、10代目となるノアが誕生した」と記載されているそうです。
イスラム教の聖典クルアーンによると、ノアは950歳まで生きていたと書かれています。

ノアの生息地

ノアと彼の親族は、海から数百キロメートル離れている乾燥した地域「古代メソポタミアの北部」に住んでいたと言われています。

「ノアの方舟」のあらすじ

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3宗教を含む、セム的一神教「アブラハムの宗教」によると、ノアが乗っていた方舟は、神のお告げに従ってノアが造った大きな船でした。

旧約聖書では、「ノアの箱舟」の物語は以下のように書かれています。

神が人間に怒って大洪水を起こす

神は、人間たちの邪悪さに対して怒り、人類を世界から一掃するために大きな洪水を起こすと決めました。
しかし神は、当時もっとも誠実で正直者であったノアを選び、「大きい方舟を造り、家族や動物たちと乗り込みなさい」と命令しました。
ノアは、彼の家族とすべての生物の種を救うため、方舟を作り、大洪水が起きる前にその方舟に乗り込みました。
神は大洪水によって、地球上の生命を破壊し、方舟に残る生き物だけを救いました。

やがて水がなくなり土地が現れると、ノアが造った方舟に乗っていた「ノア、家族、動物たち」以外の生物は絶滅していました。
生き残った人類はノアとノアの奥さん、そして3人の息子とその奥さん達だったと言われています。

大洪水の後

「大洪水」の宗教的な意味は、「神様による人類への刑罰」または「リセット」でした。

大洪水が落ち着いたあと、神は、ノアとその子供たちとの間に契約を結びます。
契約の内容は、「今後、このように洪水によって生き物たちを滅ぼすことは二度としない」というものです。
神は契約の証として、空に虹をかけました。

ノアは、神のために祭壇を建て、その上に供え物を捧げました。

神はまた、地球上で人類が誕生したときに人間に与えた命令について、2つの変更をしました。
その内容は、「人間は動物を狩ってその肉を食べることができるようになること」と、「人間を殺した人の刑罰は人間たちによって決められること」です。

「ノアの方舟」の内容の相違点

ノアの方舟の物語は、さまざまな宗教の聖典で言及されています。
紀元前2000年頃にシュメール人によって書かれた、「ギルガメシュ叙事詩」にも、大洪水の話が記載されていました。
その中でもよく知られている聖典は、キリスト教の「聖書(創世紀)」、イスラム教の「クルアーン」、ユダヤ教の「トーラー」の3つです。

3つの聖典に書かれている内容は非常に似ていますが、「ノアの方舟の上陸地」と「大洪水が起こった地域」については一致していません。

ノアの方舟の上陸地は?

ノアの方舟の上陸地について、クルアーンと聖書(創世紀)はそれぞれ別の場所を示しています。
ノアの方舟はどこに上陸したのでしょうか?

クルアーンでは、ノアの方舟は現在のトルコの東部に位置する「ジュディ山」に上陸したと述べられています。

一方で、聖書(創世紀)では、トルコの「アララト山」に辿り着いたと書かれています。
一般的には、聖書の「アララト山」の説が広く知られています。

大洪水が起こった地域

「ノアの方舟」の物語の中で起きている大洪水が、世界的な出来事だったのか、それともある地域のみで発生した出来事だったのかについては、いくつかの議論があります。

クルアーンでは、神を信じない人のみに罰として洪水が与えられ、預言者ノアによって神のメッセージが人々に伝えられたと述べられています。
このように、イスラム教は、洪水は邪悪な人々の一つのグループに対する教訓と罰として神が与えたものであると考え、世界的な出来事とは見なしていません。

様々な研究においても、ノアの大洪水は、同時に全世界で起こったわけではなく、部分的または広い地方で起こったということを示す地理的な証拠があります。

ノアの方舟の物語に登場するトルコのアララト山

トルコ東部のアール県に位置するアララト山は、トルコでは「アール・ダーゥ」と呼ばれます。
アララト山の頂上は海抜5,137メートルです。
日本一高さがある富士山の3,776メートルよりも、さらに1000メートル以上の高さがあります。

アララト山は休火山であり、 1840年に起きた噴火を最後に、約200年近く噴火していません。

毎年、多くの研究グループが、ノアの方舟の残骸を探索しにアララト山を訪れています。
しかし聖典では、方舟が上陸した位置について、根拠のある解明をしていません。
そのため、高い山の頂で方舟を探す危険行為は、問題になっています。

考え方によっては、大洪水で建物全部が倒れたため、ノアと彼の家族が上陸したところの近くで新しい家を建てるために、方舟の木材を少しずつ抜いて利用した可能性もあります。

ノアが作り出したデザート「アシュレ」

ノアが作り出したデザート「アシュレ」
物語の中で、ノアと彼の家族は大洪水から免れるために、6ヶ月以上もの長い間つらい旅をしていました。

長旅に加えて、方舟には生き物がたくさん乗っていたため、食料不足が問題となりました。
美味しい食事を作るのに十分な材料がなく、彼らは飢餓に苦しみます。

ノアの方舟が山に上陸した日、ノアは手元にある全ての材料を混ぜ合わせておいしい食事を作りました。
方舟の人々は無事その日も生き残ることができ、幸運なことに、その翌日に洪水が終わりました。

ノアが作ったこの食べ物は、「アシュレ」または「ノアの箱舟プディング」と呼ばれています。

アシュレの日

イスラム教では、ノアがアシュレを作った日を記念して、イスラム暦の1月10日にあたる日を「アシュレの日」としています。
アシュレの日は「調和して暮らす」という意味を持ち、毎年この特別な日には大量のアシュレを作り、家族や友人、そして近所の人たちに配る習慣があります。

アシュレは、トルコでは有名なデザート。
お米、小麦、数種類のナッツとドライフルーツが入っていて、栄養がたっぷりです!

見た目ではあまりおいしそうに見えないと思われがちなアシュレですが、実際は甘すぎず美味しいですよ!
機会があればぜひ作ってみてくださいね。

エリちゃん~

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