文化
トルコは親日国?日本の友好関係とは
トルコはアジアとヨーロッパの中間に位置する国で、正式国名はトルコ共和国と言います。
黒海、地中海、エーゲ海に囲まれているのが特徴で、東西文明の十字路として栄えてきました。
親日国としても知られるトルコでは、日本人に対し友好的な感情を抱く人が多く、トルコに訪れた旅行者を歓迎する人が多いようです。
そんなトルコですが、親日と言われるようになったのには歴史的背景が関係しています。
そもそも親日とは、どのような状態を指すのでしょうか。
今回は、魅力が詰まった国トルコが親日と言われる理由について解説します。
旅行におすすめの観光スポットも紹介しているので、トルコ旅行を検討している方はぜひ参考にしてください。
親日とは
親日とは、外国人が日本に対し好意を持つことです。
親日国と言われている外国はトルコを含め10ヵ国あり、台湾、タイ、シンガポール、モンゴル、ポーランド、フィンランド、パラオ、ブラジル、インドネシアがあります。
親日国になった経緯は国ごとに違いますが、日本独自の文化が好きだと言う以外では当事国にとって歴史的な出来事に日本人が関連しているケースが多くみられます。
トルコはどうして親日なのか
トルコが親日である理由は19世紀末、トルコがオスマン帝国の頃にあります。
当時のオスマン帝国はヨーロッパの国々との不平等条約に苦しんでおり、日本との平等条約締結を促すため親善使節団の派遣を計画しました。
この計画には条約締結以外にも、1887年(明治20年)にトルコを訪れた皇族である小松宮彰仁親王殿下への返礼も兼ねており、使節団座乗艦としてエルトゥールル号が採用されました。
トルコの親日に関するエピソードとして欠かせないのが、このエルトゥールル号事件です。
エルトゥールル号事件
1890年、オスマン海軍少将を乗せたエルトゥールル号は東京に3ヶ月の滞在を経て帰国の途につきますが、帰路につく途中で台風に見舞われます。
エルトゥールル号は日本近海で沈没。
オスマン海軍少将を含む587名が亡くなり、生存者は69名という悲惨な海難事故でした。
このとき、不眠不休で生存者の救助や看護、殉職者の遺体引き上げなどを多くの日本人が対応し、全国各地より物資や義金が寄せられたとのことです。
生存者を乗せた日本の船がトルコへ帰国した際には、トルコ国民たちから歓迎を受けたとのことで、悲惨な事件ではありますが、両国の絆を深めた出来事でもあります。
日露戦争
日露戦争において日本は、日本海での海戦でロシアの艦隊を撃沈して勝利を決定的なものにしました。
また、日露戦争において日本は戦時国際法を徹底したことで世界から称賛を受けています。
日本で捕虜となったロシア兵を手厚く介抱するだけでなく、軍法会議にかけられる可能性があったロシア士官に対しても日本滞在を許可したのです。
一見するとトルコには何ら関係のない出来事のように感じますが、当時のトルコ(オスマン帝国)はロシア帝国から圧力を受けており、脅威にさらされていました。
その中で日本がロシアに勝利したことはトルコの人々にとっては快挙と呼べるもので、日露戦争における日本海での海戦を勝利に導いた東郷平八郎は人気を博しました。
日露戦争の年に誕生した男の子に東郷平八郎の名をもらい「トーゴー」と命名するトルコ人も多くいたと言われています。
親日国トルコの日本への救援
エルトゥールル号事件はトルコの教科書に掲載されていることからも、トルコ史上の日本を語るうえで欠かせない出来事であったことが分かります。
そんな親日国トルコですが、イランとイラクの戦争下や多くの被害をもたらした東日本大震災において、日本との絆の深さを感じるエピソードがあります。
イラン・イラク戦争
1985年、イランとイラクの戦争が激化していた際、当時のイラク大統領サダム・フセインは「48時間後にイラン上空の飛行機を無差別に攻撃する」との声明を発表しました。
当時イランには日本人215人が暮らしており、国外への脱出を試みますが空港は満席。
日本からの救助機も「安全の確保ができない」との理由により派遣が見送られ、空港にいた日本人は困り果てていました。
そんな危機的状況から日本人を救ってくれたのがトルコでした。
トルコから駆け付けた救助機により、タイムリミット1時間前に無事全員が救出できたのです。
当時の日本政府は、なぜトルコの人が危険を顧みず救助してくれたのかが分かりませんでしたが、後に駐日トルコ大使館からは「エルトゥールル号の借りを返しただけ。」との回答があったそうです。
東日本大震災
東日本大震災は、日本に留まらず世界中に大きな衝撃を与えました。
世界各国の支援チームが日本を訪れ、さまざまな形で救援の手を差し伸べてくれたことが記憶に新しいですが、トルコも宮城県利府町を拠点に支援活動を行ってくれたのです。
トルコの支援チームは救助隊員と医療関係者などで構成されており、宮城県多賀城市や石巻市雄勝町、七ヶ浜町で行方不明者の捜索活動を中心に約3週間もの期間滞在してくれました。
親日国トルコの特徴
歴史的事故や災害など、長き時間をかけて互いに助け合うことで日本との絆をより深いものにしていったトルコですが、親日国であるという以外にもさまざまな特徴を持ち合わせています。
多様性
トルコはアジアとヨーロッパの中間に位置するため、東洋と東西の影響を受けながらも、どちらかに偏り過ぎない独自の文化を築いて来ました。
そのため瞳の色や髪色も多様性に富んでいます。
また、トルコの公用語はトルコ語ですが、トルコ人口の約15%は他言語を母語として使っているのも特徴です。
トルコ語に次いで多く使われるのがペルシャ語系のクルド語で、東部や東南部で使用されています。
このほかに、大都市イスタンブールではギリシャ語やアルメニア語、シリアの国境付近ではアラビア語を話す人がいます。
トルコの四季
日照時間が比較的長いトルコには四季があり、気候が日本と似ています。
観光するベストシーズンは雨の少ない春(4月~5月)と、秋(9月~10月)です。
同時期の東京と気温を比べるとトルコの方がやや低く、朝晩は冷え込むため上着を準備すると良いでしょう。
夏の気温は場所により30度~40度まで上がるため、近年の日本の猛暑とあまり変わりありません。
ただし、公共の乗り物はしっかり冷房を効かせており寒さを感じるほどなので、夏でも羽織れるものを用意しておくと安心です。
イスラム教
宗教ではイスラム教が主要となっていますが、歴史的観点で見るとトルコは初期キリスト教布教の地であるため、キリスト教に縁のある場所が多く残っています。
信仰する宗教は非常にデリケートな問題と捉える人もいますが、トルコはイスラム教徒の国となった後も、キリスト教の遺産とともに共存、調和する社会を築いています。
このほかに、イスラム教では食生活をはじめ文化や習慣に厳しい戒律がありますが、一部の戒律においては公の場で禁止する一面も。
また、イスラム教徒では禁じられているビール類などのアルコールも、トルコでは比較的自由に売買が可能です。
宗教における厳しい戒律がありながらも、他国の文化や他の宗教を受け入れる姿勢を持つ姿も、トルコならではと言えます。
トルコの観光地
世界遺産が多いトルコには、観光名所も多く点在します。
昔ながらの市場やマーケットが数多く出店し、華やかさと賑わいを見せる「イスタンブール」や、自然と文明が融合した「カッパドキア」、世界中から観光客が訪れる「エーゲ海近郊」。
歴史的建造物をはじめトルコの食文化や買い物を満喫できるエリアや、日常を忘れるほどの美しい街並みなど、回り切れないほどです。
そんなトルコを思う存分旅行してみたいと思っている方は、ぜひトルコ専門旅行サイトTOURQUA(ツアークア)を利用してみてください。
現地を知り尽くしたスタッフが理想のツアープランを企画してくれるので、世界遺産や観光名所も余すところなく満喫できますよ。
まとめ
日本とは何かと歴史的な交流が深いトルコ。
トルコと日本は、お互いが助け合うことにより友好的な関係性が継続されています。
この関係性は今後もより一層続いていくことでしょう。
比較的治安がよく、直行便なども運行され、何より親日国であるというトルコは、日本人にとっても旅行しやすい国です。
ぜひ一度は訪れてみてくださいね。
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