歴史
2022/03/31

アレキサンダー大王の驚くべき8つの逸話とは?現在もトルコに残る王の軌跡

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アレキサンダー大王ことアレクサンドロス3世は、古代ギリシャの一つの帝国であったマケドニア王国の君主です。

紀元前336年〜紀元前323年頃の約13年で、南東ヨーロッパから、アナトリア(現トルコ)を渡って、西インドまで広がる巨大な帝国を作り上げました。

歴史の中で最も成功した軍事司令官の1人ともいわれ、その軍事戦術と戦略は、現在も軍学校で研究されているほどです。

そこで今回の記事では、歴史上において最も有名な英雄である「アレキサンダー大王」について、彼の生涯と、それにまつわる驚くべき8つの事実を紹介します。

さらに、現在のトルコに今も残る、アレキサンダーの史跡や遺物などについてもあわせて紹介したいと思います。

アレキサンダー大王とはどんな人物?

父親のフィリップ2世が暗殺された後、当時20歳だったアレキサンダー大王は、そのままマケドニア王国(現ギリシャ)を継承。

その後、彼は彼はたった一人の青年にして、古代においても最も広大な帝国の1つを建設しました。

アレクサンダー大王は、ギリシャやペルシャ、シリア、エジプトなどの列強を、一度も敗戦することなく征服したのです。

いわゆる若きカリスマで体も強靭。
スピードと運動能力にも優れていたアレキサンダー大王は、自分が神聖な人間、いわゆる神の息子であると信じていて、部下からも絶大な人気を得ていました。

アレキサンダー大王について驚くべき8つの逸話

ここからは、そんな伝説的英雄であるアレキサンダーが残した、驚くべき8つの逸話についてご紹介していきます。

1.アリストテレスの教育を受けていた

アレキサンダー大王は、有名な哲学者である「アリストテレス」の教育を受けていたといわれています。

彼が13歳のとき、父であるフィリップ2世が王子教育を受けさせるために、歴史上最も偉大な哲学者の1人であるアリストテレスを教師として雇いました。

2.生涯、全勝無敗の最強の男

アレクサンダー大王は、16歳という若さで初勝利を挙げて以来、15年間にもわたる軍事的な歴史の中で、戦闘に一度も負けたことがなかったといわれています。

アレクサンダー大王が率いる軍隊の強みは、スピードと機動性。
まだ敵が攻撃の準備をしている間に、少数の部隊を派遣し、あっという間に敵を倒す、というような作戦を度重なる遠征でよく実行していました。

3.多数の都市に自分の名前を付けた

多数の都市に自分の名前を付けた
アレキサンダー大王の遠征地図

アレキサンダー大王は征服した70以上の都市を、自分の名にちなんで「アレクサンドリア」と名付けたことでも有名です。

さらに、自分の愛馬である「ブケパロス」という名にちなんで、「アレクサンドリア・ブケパロス」と名付けた都市もあったといいます。

4.奥さんに一目惚れ

アレクサンダー大王は、後に妻となる「ロクサネ」に一目惚れし、彼女が16歳の時に結婚しました。

アレクサンダー大王が死亡した数か月後に、ロクサネは彼との間の子を産み、彼に「アレクサンダー4世」と名付けています。

5.ゼウス神の息子?

ある古代の本によると、アレクサンダー大王は、いつも素晴らしい服を着て、良い匂いがしていたそうです。

これは、彼が神のような存在であることを強調する1つの要素だといえるでしょう。

アレキサンダー大王は紀元前331年、エジプトのシワオアシスを訪れたときに、彼が「ゼウス神の息子」であるとの神託を受けたといわれています。

6.ペルシャ文化を好んでいた

アレキサンダー大王は、ペルシャ文化を好んでいたことでもよく知られています。

実際、ペルシャ帝国を征服した後は、よくペルシャ人の服を着ていたそうです。

7.謎の最期

実は、戦場で負けなしだったといわれるアレキサンダー大王の死亡原因は現在も不明のままで、古代における大きな謎の1つとなっています。

そんなアレキサンダー大王が亡くなったのは、紀元前323年。

33歳の誕生日の直前、ワインを1杯飲むとすぐに具合が悪くなった彼は、その2週間後に亡くなったといわれています。

このため、部下にワインで毒殺されたのではないかという説が今のところ有力です。

8.行方不明となった遺体

アレキサンダー大王の遺体は腐敗を防ぐために、蜂蜜で保存されていたといいます。

死後1~2年が経つと、彼の遺体はその部下であったプトレマイオス1世によって、エジプトに輸送。

その後、エジプトのアレキサンドリアに埋葬されたといわれていますが、そのお墓の場所は未だ分かっていません。

現在もトルコに残るアレキサンダー大王の軌跡

トルコには、アレキサンダー大王がたどった遺跡や、彼が残した遺物などが多く残っています。

ここからは、現在もトルコに残るアレキサンダー大王の軌跡について、いくつか紹介していきます。

イスタンブールの考古学博物館

イスタンブールの考古学博物館
トルコのイスタンブールといえば、ブルーモスクやアヤソフィアなどが有名ですね。

観光地としてはそこまで人気ではないかもしれませんが、同じくイスタンブールにあるのが、イスタンブール考古学博物館。

ここには、世界最古といわれているリディア金貨や、世界最古の平和条約といわれる、カデシュ講和条約の粘土板、さらにはアレキサンダー大王の石棺など、さまざまな歴史的遺物が展示されています。

などをはじめとした素晴らしい歴史のコレクションが展示されています。

トロイア(現カナッチャレ)

アレキサンダー大王は、紀元前334年にトロイアの都市(現チャナッカレ)を訪問。

トロイアの伝説的な英雄「アキレウス」のお墓に詣で、敬意を表したといわれています。

「アキレウス」と、トロイのヘクトールの妻である「アンドロマケ」は、彼の祖先であるといわれていたため、これらの訪問には自らの先祖を称えたいという彼の気持ちが込められていたようです。

イオニアの古代ギリシャ都市

イオニアとは、エーゲ海に面したアナトリア半島(現・トルコ)南西部に古代に存在した地方です。

ここには、アレクサンダー大王にまつわる逸話がたくさん残されています。

例えば、プリエネ(現アイドゥン県ソケ町)は、アレクサンダー大王がアテナ神殿を寄贈した町です。

さらに、ミレトス(現アイドゥン県ディディム町)は、当時アレクサンダー大王による包囲攻撃を受けました。

このミレトスとディディマにあるアポロ神殿は「聖なる道」という道で結ばれていましたが、イオニアの反乱でペルシャ軍によって破壊。

その後、アレクサンダー大王によって再建されたという歴史があります。

まとめ

アレキサンダー大王の軌跡はそのほかにも、アソス遺跡(チャナッカレのアイワジュック町)や古代都市エフェソス(イズミール県セルチュク町)、ハリカルナッソス(ムーラ県ボドルム町)など、現代のトルコでもさまざまな場所で見られます。

最近では、アレキサンダー大王にまつわる歴史的な観光名所を巡るツアーも開催されていますので、興味のある方はぜひ参加してみてくださいね。

エリちゃん~

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